今年もこの時期です。
日本の夏は、歴史的に終戦と重なります。広島・長崎の原爆投下の日もあります。
そして今年もマスコミによる指摘がありました。
広島・長崎での平和式典での安倍総理の挨拶文が毎年ほとんと同じになるのはおかしいのではないかと。
元公務員の私は、どう感じたか?
菅官房長官も釈明
まあ、毎年の光景でもあるので、こういう批判は安倍政権批判をしたい人たちのステレオタイプなパターンになっているわけで、おそらく「挨拶文が同じじゃ無いか!」と話題になった瞬間に、「ああ、また馬鹿が騒ぎ始めた」と感じる人も多かったでしょう。
菅官房長官も、挨拶文が同じことに関して釈明をしたようですね。
菅義偉官房長官は11日の記者会見で、広島市の平和記念式典(6日)と長崎市の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(9日)での安倍晋三首相のあいさつの文面が9割以上同じだったことについて、「原爆の犠牲になられた方々の御霊(みたま)に対する哀悼の気持ちとか、唯一の戦争被爆国としての日本の立場を申し上げるのは、両式典でどうしても同じような内容になってくるのではないか」と釈明した。
まあ、こういうしか無いでしょうねw
それとも、批判している人たちは、毎回、名文を用意しないといけないとでも思っているでしょうか?
そもそも、そのベースとなっている挨拶文は毎年ほとんど同じであるという指摘もあります。
安倍政権だけに騒ぐのもおかしなことですよ。
それに、もう新しく言いようが無いっていうこともあると思いますけどね。
挨拶文というものはどう作られる?
田舎の市役所に勤めていた元公務員の私の経験をお伝えしましょう。
こういう挨拶文は、毎年同じものを使うことがほとんどです。この時期、戦没者追悼式典が各自治体でもあると思います。
おそらく、そこでの市長の挨拶文を作っているのは、福祉部局だと思います。障害者を扱ったりしてる部署が担当してるのでは無いでしょうかね。(自治体の組織にもよりますが)
私は、こういう戦没者式典には関わりはありませんでしたが、毎年、市長が出席するようなイベントのある部署に配属されたことがあります。そこで、市長の挨拶文を実際に作った経験があります。
どう作るのか?
それは、前年に使った挨拶文の文章の日付を変えるだけです(笑)
これはマジです(笑)
ただ、それだけだと芸が無いので、多少、時事ネタを最初に入れたり、挨拶文の中にある数値データなどを最新のものに変えて、変化を強調するような文言を入れたりするということはあります。
ただ、ベースになっているところは、ほとんど同じです。
文章がある程度、変化することがあるとすれば、担当者が変わった時に挨拶文の案を見て、ちょっと趣を変えようかなと思った時などでしょうね。
それ以外は、毎年同じことの繰り返しです。
ただ、市長がその挨拶をそのまま読むとも限りません。しゃべり好きの市長ならば、作った挨拶文は参考程度に資料として扱い、ほとんどアドリブで挨拶するようなこともあります。
行政の作る挨拶文なんて、そんなものです。
そもそも行政ってそういう機械的な処理をする事務的なところですからね。
まとめ
元公務員の目から見ると、安倍総理の挨拶文が、広島と長崎でほぼ同じであったり、毎年同じような文章になるのは、当たり前のことです。
公的式典での挨拶文は政治家が作りません。
事務方の公務員が機械的に作ります。
よっぽど、情勢が変わらない限り、挨拶文が大きく変わることは今後も無いでしょう。
例えば、世界中の核保有国が、核兵器を放棄したというならば、そうい話題は入ったりして、挨拶文には大きな変化があるでしょうけどね。
そいう世の中になってるかどうか考えたら、挨拶文がどうなるのか、わかりますよね。
挨拶文ごときで、いちいち騒ぐなよ。というのが現実です。