政治ニュースはこう見た 元小役人の囁き

元公務員の感覚では、あいちトリエンナーレの表現の不自由展はあり得ないと思う

投稿日:2019年10月11日 更新日:

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」というアート展の騒動が鎮静化しませんね。現代アートというものは、ちょっと理解するのに現時点では文脈の解説が必要だったりするので余程造詣に深く無いとピンとこないものもあったりします。

ただ、この「表現の不自由展・その後」で騒動になっている展示というものに関しては、元公務員の私の感覚からすれば、普通は実施しないと感じるものですが、愛知県庁の職員は違うのでしょうか? 全国の公務員の人に感想を伺ってみたいところです。

瀬戸内国際芸術祭などは滞りなく進んでいます。もちろん交通機関とか案内方法とか不都合なこともあったりして主催者側は苦情を受けることもあるとは思いますが、そういうものは回数を重ねることで改善しているものでしょう。もはや、地域としては定番のようなものになってるのではないでしょうか。

でも、あの「表現の不自由展」は、自治体がやることでしょうか? 公務員という立場から考える感覚ではあり得ないと思います。

政治的中立性が自治体に求められるのは当然

公的機関が所有している施設の使用には、使用者に対して禁止事項が定められているはずです。違反した場合は施設の利用許可を取り消しにもなります。

どんな禁止事項があるかは様々だとは思いますが、公の秩序または公序良俗を害するおそれがあると認められるときといったような内容で、利用許可の取り消しを定めているのがほどんどでしょう。その中には、非営利性、政治的中立性、宗教的中立性を定めたりしていると思います。

公務員自身が政治的行為の中立性が求められ、一定の政治的行為が制限されているのですから、その人たちの運営する公的機関の施設も当然その目的にあった利用を求められるのは当たり前でしょう。

そんな施設の規約とかの話を持ち出さなくても、公務員や役所が表立って政治的に偏向しちゃダメなのは常識じゃないですかね?

政治問題化するようなものは、公務員は特に嫌うでしょう。中立性はどうなんだ?って言われてたら説明できないじゃ無いですか。だから、施設の使用許可に携わってる公務員だったら、

それに、どこのかの自治体だったでしょうか、施設の利用に対してヘイトスピーチや差別に繋がるような発言をする団体には使用許可を出さないと言った方針を打ち出したところもあったのでは無いでしょうか。

これは、先ほど触れたことを具体的に示したことでしかありません。

で、あの表現の不自由展ですよ。どう考えても憎悪表現にしか見えませんし、実行委員会のメンバーの経歴や実績、活動を解説してる人の話を見れれば、ただの左翼活動家としか思えません。アートとは全く無関係な人もいます。

にしても、なんであんなものが、政治的意図を抜きにしても、あんな汚らしい作品が展示されるのを企画して決裁を庁舎内で回すというシーンは、元公務員としては想像がつきません。

愛知県庁の職員が可哀想

もちろん政治的に偏った思想を持った公務員もいると思います。でも、まあ、仕事をしている中では露骨にはやらない人がほどんどでしょう。それよりも、どこからも文句が出ないように気をつけて仕事をしてる公務員が大部分だと思います。

そう考えると、どうしても愛知県庁の職員が、あんな企画を平然と起案して決裁が何の注文も無く下りるなんて想像がつきません。

でも、あの展示が実際に行われた。事務手続きとしては相当強引であったり、無理な意見を通しているとしか考えられません。もちろん、その無理を言ってるのは権力を持っている側です。知事による鶴の一声的なものでもあるのでは無いですかね。

ネットでよく言われているように、右派、左派の表現の不自由を両方並べたらバランス取れていて面白いことになっていたかもしれないというのはアリだと思います。

でもあまりにも日本を貶めるものが目立ちませんかね。それを日本の税金で動いてる公務員が企画の決裁を回すって…

おそらく起案者とされる担当の公務員は「ほんとにこんな展示会にしていいのだろうか?」と思いながら書類を作ったに違いありません。その直属の上司や係の同僚なども、「抗議が殺到するんじゃないのかなぁ」「批判の電話、絶対受けることになるんじゃないかなぁ」と思いながら、書類をチェックし、判子を押して県としての方針として固まったのでしょう。

そして、実際に催しが開催されたら想像していたように抗議の電話が殺到。「ほら、やっぱり…」と頭を抱えながら電話に出ていろんな批判を受けたことでしょう。電話を切ったらまたかかってきて、同じような批判で時には怒鳴りつけられます。

これ、大村知事は批判者側も問題視するような発言をしていますが、それは論外です。もちろん脅迫めいたもので事件にもなりましたが、そこは別の問題です。

公務員のやる仕事はどんなことでも一定の批判は住民からあるものです。その抗議を受けるのも公務員の仕事であります。それに耐えるのも仕事のうちです。

私も抗議電話はいくつか受けたことがあります。建設関係の部署にいた時、どこかの建設業者の苦情電話で、「お前の首をな、鎌で○ってやってもええんやで」みたいなことも言われましたよ。2時間くらい話に付き合うようなこともありました。

でも、まあ、その時だけです。だいたいのものは苦情があっても対応できるものなのです。すぐに落ち着きますし、計画を進める段階で、なるべく問題が起きないようにもしている訳です。

ですから、愛知県庁に殺到した苦情電話というものは、それくらい企画の段階で不備があったと考えるのが普通でしょう。

それにしても愛知県庁の職員が可哀想です。いろいろ声がありながらも大村知事がゴーサインを出したような流れですよね、報道を見る限り。ならば、疑問を持ちながら職員も仕方なく企画の書類を揃えたでしょう。「責任は知事にあるよな」って思いを持って。

そして、大量の苦情電話を受ける。おそらく、「はい…おっしゃることはわかります。この展示は実行委員会の議論を経て云々…」というような説明をしたのでしょうね。「これは、大村知事がやると言ったので、それに合わせてこちらも動いただけでして…私としても、慰安婦像とか昭和天皇の写真燃やして踏みつけるとか、ちょっとどうかとは思ったんですが…知事がなにかインパクトのあることをやりたいみたいなことを言って、なんかそういう流れになりましね…」みたいなことはなかなか言えませんよね。ジッと我慢して話を聞いてたのではないかと思います。(ま、私なら言ったかもしれませんが 笑)

で、その大村知事には対して苦情なんか直接行かない訳ですよ。ツイッターくらいでしょ?そのツイッターも気に入らない質問にはブロックしたりしてるみたいですし。

大村知事は大変そうな顔をしてましたが、県庁職員に比べたら何でも無いことです。その後の発言を聞いても、心打つようなことはありません。責任を果たすような動きにもなってるようには思えません。

(追記)朝日新聞が、この展示への批判者を否定したいがためにこんな記事(「あんた日本人?」鳴りやまぬ電話・泣く職員…電凸ルポ)を書いてますが、上にも書いたように、私の勤めていた市役所でも経験済みです。大なり小なり、どの自治体でも罵声を浴びる経験なんてあるでしょう。電話に限らず、リアルにもです。なので、愛知県の職員に同情するのもいいですが、他の自治体でも普通にあることは理解して欲しいものです。

そもそもなんで韓国のテレビが放映している?炎上の出発点はSNSか?

「炎上の原因はSNSだ」とか言って、SNSを悪者にしている大村知事側ですが、素敵な展示であれば、それこそ好評の嵐でバズったわけで、中身がどうかの問題です。

それに、この炎上のきっかけとなったのは韓国のテレビ放映の動画がSNSで流れて、この展示に慰安婦像があるということがわかったからです。

「何で韓国?」「え?慰安婦像?」「アート展に?」

まあ、SNSが原因と言えばそれまでですが、でも、不自然すぎますよね。韓国の放送局の取材。しかも慰安婦像。

韓国テレビのインタビューに岡本という実行委員の女性がこんな風に答えていました。日韓のこの時期だからこそ、違いの理解を深めて友好を深める良い機会にしたい。そんな感じのことを言ってました。

え?慰安婦像でそんなことできる?慰安婦は気の毒なことだけども、解説文がめちゃくちゃなことに日本は問題にしてる人が多い訳で。でも、そのママの記述でしょ?対立を深めるだけでしょう。気の合うもの同志で盛り上がるだけでしょう。

この岡本という人は、アマゾンで検索したら、慰安婦や韓国関係の本の編集ばかりしている人でした。あれ?アートってどこにあるんだ?

そうしたら、今度は昭和天皇の写真を焼いて足で踏みつける映像とか、特攻隊を揶揄して国旗を毀損するようなオブジェとか、どこがアート何だと… 過剰な説明が必要なものは既にアートでも何でも無いでしょう。それなら文章だけでどんな思いがあるか述べるだけにして欲しい。

これを公共施設で税金使ってやるのですからね。

いったん中止になった展示が再開されて、今度は東北の被災を放射能で揶揄する動画まで出てきました。ダブルミーニングとかいろんな技巧を使って違う意味を表現したとかいう言い訳なんて必要無いです。扱うテーマが全く美しくない。優しく無い。で、このアート展のテーマが「情」だとか。どこにそんな「情」があるのか。

明らかに偏ってる表現の不自由展の意図

表現の不自由展が排除している表現の不自由もありますね。何か、表現の自由が妨害された事案の年表資料のようなものがあったと思います。

これにのっいるのは左翼側の展示が拒否されたとか、そういうものばかり。例えば、保守側と考えられている百田尚樹さんのサイン会の脅迫による妨害や、講演会を中止させる運動といったものは記載されていません。

何だそりゃ?と思われる記述もありました。内容は、自民党ポスターに落書きをしたら器物破損で逮捕されたことで表現の自由を侵害されたというもの。そんなもの表現の自由ではありません。ただの器物破損という犯罪です。

こんな資料を作る人たちの展示が、税金使って行われるってどう考えてもおかしいでしょう。

これを偏っていないなんて言えるはずがありません。

さて、公共施設の利用はどうあるべきものでしたっけ?

公の秩序または公序良俗を害するおそれが無いこと、非営利性、政治的中立性、宗教的中立性が求められること。果たして当てはありますか?

そんなに高尚な展示ですか?

子どもたちに教育的であるかどうか?

公共施設の基準って、子どもたちにとってどうだろうかと考えるのが一番いいと思います。公的機関が行うものは全世代の住民の福祉に貢献するものであることでしょう。それを考えるには子どもに見せられるかどうか、というような感覚で見るのがいいのではないかと考えます。

子どもたちに写真を焼くことがアートだと教えますか?顔写真を焼いて踏みつけるような行動を取らせる子どもに育てたいですか?

戦争でなくなった人を、愚かな人だということが人としてやることだと教えますか?慰霊の心を教える方が大切じゃないですか?

子どもに戦時中の性サービスについて話んですか? 根拠の無い被害者数を教えるのが教育ですか?

放射能の危険性を揶揄するのが放射線教育に繋がりますか?被災地の傷ついた人の心に寄り添える子どもになるでしょうか?

私は現代アート、いや、こんな政治的プロパガンダをアートというような展示なんかよりも、ダヴィンチやピカソなどの描いた絵を一つ置くだけの方が、子どもたちの芸術に関する教育的効果は高いと思います。

なぜなら、見たら圧倒されるものがあるからです。学校の教科書に載っているものと同じ絵が目の前にある。教科書で見たことある絵だから軽く思って見にきたりすることもあるでしょう。でも、その目の前には同じ絵でも教科書とは全く違うものを感じるはずなんです。「こんなに鮮やかな色だったのか!」「こんなに大きな絵だったのか!」「うわ、細かいところまで描いてるんだな」といった喜びや驚きがあるはずです。芸術分野では無いですが、私が小学校時代の修学旅行で奈良の東大寺の大仏殿を見た時、写真で見て想像してたのより遥かの巨大だったことに圧倒された覚えがありますよ。

あのおかしな奇妙なあいちの展示を見て、前向きな思いになるでしょうか。「え? なにこれ…」というのがオチでしょう。子どもたちは大人の顔を伺いますから聞かれたら「勉強になった」くらいの感想は言うでしょうけどね。そんなことをさせることが芸術の力なのでしょうかね?

表現の不自由展。やるなら勝手にどこかでやればいい。税金や補助金を使ってやるには、納税者の理解が得られるものじゃ無い。私はそう思います。補助金不交付決定も当然だと思います。表現の自由を主張するのは構いませんが、何でも言っていいというのなら、その批判を受ける責任があるのも当然です。批判する側も表現の自由ですから。

いや、そんなことより、表現の自由に、良識とか常識とか節度とか気遣いとか、そういうの無いんですかね?

立川志らくさんの言うとおり

立川志らくさんのこのツイートに前面賛成です。

常識でしょ、こんなこと。

全国の各自治体は、どう思っているのかな?

おそらく、全国の多くの公務員の人は「何だよ、あの展示。ダメだろ」と思っていると信じています。

まあ、一番困っているのは、愛知県庁の職員でしょうね。またこれからも知事に振り回されることでしょう。めげずに頑張ってください。

全国の自治体は、今回の展示をどう思っているのでしょう?税金使って補助金出してやるものでしょうか?

誰か調べてくれないかなぁ。

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